2018年ってやつは

2018.1.21
奥様が雪の日にすってんころりん。左ひざを強く打つ。
夜になっても痛みは引かない。タクシーで救急病院に連れて行く。
左ひざ膝蓋骨骨折、お皿が割れちゃっていた。幸い昔で言えばひびが入った状態で止まっていた。


ここから我々の苦難の旅が始まる。週に1回は病院通い、松葉杖に馴れていないので私が会社を休んで付き添う。
我が家はバリアフリーとは程遠いのでネットで歩行用の短めの杖、膝固定用ブレース、トイレとお風呂用高椅子、食事用椅子、着替え用イス、リハビリ用椅子、水を使わないシャンプー、寝て起きる為の仕掛け、楽にはける靴、リュック、そして家でも仕事できるよう準備、いろいろあるよね。
そして2ヶ月で骨は完全にくっつき、外科の医者は衰えた神経と筋肉の治し方を教えてくれない。近所の整形外科に転院手続き、そこも3ヶ月で追い出されるとマッサージを探す。
その間、私は一人で上野に通い、大量の仕事をこなし続ける。帰れば食事の準備。買い物、掃除、いろいろあるね。
おまけに住んでるマンションの理事長まで引き受け、ただでさえ忙しいのに休日も忙殺。

そして半年がたち、全部笑い話になった。
これがあるから人生は救われる。

3月の結婚記念日もなし、ケーキだけ。勿論旅行もいけず、私は近場の桜の花見にも目を瞑った。一人だけ楽しむわけには行かない。じっと我慢の子。


8.23

そして、8月、恒例の奥様の誕生日旅行の季節がやってきた。リハビリを兼ねてのゆっくり旅行。出来るだけ動き回らないように。場所は去年も行った赤倉観光ホテル。部屋のグレードをさらに一段上げて、二人で泊まれる最上の部屋に2泊。
癒し、いやし、ようやく一区切り。

2日目に近くの旧赤倉温泉街に行き、岡倉天心の六角堂を見る。なんでここに建ってるのかは不明。

学生の頃天心の夢を何度か見た。

 


10.26

さらに今までの鬱憤を晴らすように10月、紅葉の時期の旅行を企画。これまた何度も行ってる裏磐梯高原ホテル。
さほど紅葉は見られないと思っていたけど良い意味で裏切られました。
癒し、初めての赤い湖、服も赤いシャツと帽子で体内まで染まりに行く。


帰りに会津若松に行く。ずっと前から行きたかったサザエ堂!!
この時代に作られていたダブルピンウィール。若い頃建築画で風車と2重螺旋ばかり描いていた事を思い出す。
きっと人間の根幹にあるイメージなんだね。力と調和、そして強力な上昇の象徴。

この上に白虎隊の墓もある、行ってみたけど未だに怪しげな亡霊がうようよしていて何でかなと思う。
人間以外も沢山いるし、場所柄いろいろ集まってくるのかね。


11月、浜田省吾のファンクラブに入会して1年、ようやくその特典にありつく。
東京フォーラムでファンクラブ限定のコンサート。1970年代!ショーゴー!と叫ぶ、何度も叫ぶ。
過ぎ去った時、青春、若さ、そして今までの道のり、全部全部溢れ流れ、最後は小さくなった体ごと有楽町の駅前に放出される。
1980年代が聞きたい、でもそれはファンクラブ限定には無理があるね。


12.28

部屋の窓から見えるニシン色の海、古い塗装のはげたテスリが廃屋みたい。
リニューアルしたばかりで・・。

右に客室の窓。正面のみ海に開放半屋外の露天風呂。


とどめに12月、私の誕生日、これまた3回目の鴨川へ。鴨川グランドホテルがついにリニューアルしたというニュース。
この時点で最良の部屋を予約。広い半屋外露天風呂つきだけど、部屋はガランドー。海に2方が面しているのに心は遠い。窓だ、海と部屋を繋げる中間領域の演出がへた。その点、昔からあるレストラン群青は、落ち着き海を呼び込み、一体となり美しい空間を形作る。
鴨川水族館は3度目?垢抜けないけど妙に海と一体化し遊べる。


かくして1年が終了。

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