サ高住って何?
ついに母を高齢者施設に入れた。
去年から見学を重ね、良い部屋が空いたら即押えるようにしてあった。
二人でいくつか見学させて貰ったけれど、内部の事情は全く分からない、比較検討している時間と体力がない。
休日1日を費やし見学が終わるとヘトヘトになり、帰りは近所でもタクシーを呼んで潜り込む。
実家は一人で住むには広すぎて、それを自由に使っていたのだから小さな18m2のワンルームに閉じ込めるわけにも行かない。
何とか少しでも広い部屋をと、一人だけど2倍広い夫婦部屋を予約した。
実家で最後まで。。と思っていたけど母は一人では風呂も食事も掃除も洗濯も冷暖房の切り替えも出来なくなっていた。特に寒い冬の季節は生命の危険すら伴う。
父の死後、認知症も進み幻覚幻聴にも見舞われた。
ヘルパーさんは週に数回、1回1時間程度、見守りカメラで見てるとおしゃべりだけして殆ど掃除も何もしないで帰る輩もいる。
他人では誰も心配して手が届かない。私自身はその他人以下しか出来ないけど。
12月に予約して、契約し、1ヶ月以上の準備期間を置いて1.11に無事入居。
どうやって説得すべえ、気位だけ高い母を転居させる作戦を毎日練り続け、主のいない部屋の調度を整え続けた。
1.11に言葉巧みに誑かし転居成功したときは嬉しくて得意の高速ダンスを母の部屋で踊ってしまった。
慣れぬ床材で運悪く滑って、右ひじを突いたらガリット嫌な音。整形外科に行ったら右ひじ捻挫、おまけに剥離した小さな骨片まで見つかった。
翌日から動かぬ右ひじでマウスを使い仕事、夕方終わったら痛みで涙が流れてきた。
母はそんなことつゆとも知らない。
早速引っ越した翌日から毎日脱走を企てる。1ヵ月半も続いた。施設長の方も日々説得、エアコン、照明器具、電話線、TV、全部引っこ抜きいじり倒し、手を中に突っ込み感電、脱走用に荷造りは毎日やり直し、袋もカバンも裂けた。ハラハラドキドキ、報告が来る毎日が眠れなくなった。
母はそんなことも全然知らない。
日々対策を練り毎日のように連絡を取り、入居者のワースト記録樹立は確実だねと話す。
私の心臓はリアルで痛み、睡眠は削られ、仕事は年度末で溢れ、とっくに限界を超えていた。
母はそんなこと全然関係ない。
3月になってようやく落ち着き、母は毎日平穏に過ごせるようになり
ここはとてもいいところだ、いい部屋だし春には桜がきれい、人も親切、何の心配も要らない、ずっとここにいたい、とまで言うようになった。
良かった、よかった。一安心。
そうして過労を積み重ねて私は追い込まれていった…….