親父の肖像1
■親父の肖像1、大正10年(1921年)12月12日生まれ
親父は職業軍人だった。陸軍士官学校を経て最終的には陸軍大尉になった。
一方お祖父さんも職業軍人で海軍士官学校を経て海軍大佐になった。田園調布の近くに広大な屋敷を構えていたそうな。高給取りだったのだろう。
田園調布の家とその庭
実際は東玉川1丁目で駅の反対側だった。
だが戦争が終わり職を失い、恩給も得られず屋敷も手放した。ドイツに留学経験があったお祖父さんはその後パン屋を開業した。軍人気質が抜けずパン職人といざこざが絶えず店じまいとなった。
親父はそのころ、自分はパン屋の息子だと語っていた。
お祖父さんの事はさておき、親父の古いアルバムから勝手にAI着色して記録しておこうと思う。
軍人上がりの親父は、家庭でも軍人だった。血の通った親子関係ではなく軍隊での上下関係しか築くことが出来なかった。愛情に飢えていた子供にとっては迷惑な話だ。
それも長い時間とともに思い出に溶けていく。
親父は大正10年(1921)逗子で生まれた。海軍にいた祖父は軍港を転々としていた。その為父は神奈川県の逗子で、父の姉は横浜で、妹は広島県の呉で生まれた。
お祖父さんの影響もあってか父は軍人への道を歩み始めた。
当時の海軍は陸軍よりもレベルが高かった。それもあって父とお祖父さんの仲は良くなかった。
父は10年前に亡くなったが、生きていれば今年で100歳になる。
1)昭和14年(1939)12月市ヶ谷台陸軍予科士官学校入校式
父は17歳
2)昭和14年12月市ヶ谷台陸軍予科士官学校
3)昭和14年12月市ヶ谷台陸軍予科士官学校生徒集会所
4)机に向かう父
5)玄関前で同級生と。これで17歳!昔の人は早くから大人になっていた。
ところで写真で見ると右側の人のズボンはパリッとしているが父のズボンはよれよれだ。幼少期に実の母親を亡くし当時は身の回りの世話をしてくれる人がいなかったからだろう。
画像は全て白黒画像にAIによる着色済。
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—続く。